静岡まで見知らぬ車に乗っけて貰った話。ヒッチハイク

hitchhike

旅は道連れ。なんて言葉もあったりしますが、ちょうど20歳になるかならないかの頃にヒッチハイクをして、実家があった静岡まで帰省をしたことがありました。ヒッチハイクをした時の理由は、正直「あんまりお金がなかったから、帰省までを節約したかった。単純にヒッチハイクというのをやってみたかった。」というのがありましたが。

今となって思い起こしてみると、私があの時、ヒッチハイクをしたことは今でもどこかで生きているんじゃないかなとか、ふと思ったりするところがあります。ところで、ヒッチハイクとは一体なんなのでしょうか。少し、見ておきましょう。

通りすがりの自動車に無料で乗せてもらう行動を指す。交通量の多い道路の脇に立ち、腕を肩から水平方向に目一杯伸ばし、親指を突き立てたポーズを取ることがヒッチハイクの意思表示とされている(決して人差し指を立ててはいけない。写真のポーズを参照のこと)。行き先(目的地)を大きく書いた紙やボードを胸や腹あたりに掲げながらやることも多い。

乗せて貰ったからといって寝てしまったり、運転手の迷惑になる行為をすることは厳禁で、ヒッチハイクの最低限のマナーとされている。

(出典): ヒッチハイク – Wikipedia

それでは、当時のヒッチハイクを振り返って体験記をお楽しみください。

hitchhike
15:00、環状線。完全なヒッチハイク初心者で、数記事読むくらいしかやってなかったので、おまけに「ヒッチハイクなんて余裕だろ。」なんて高を括りながら、自宅を出た手前の道路で立つことから始めました。これが、思った以上に「恥ずかしい」。

ここまできたら、やるしかない!30分程度突っ立ってましたが、笑われることに耐えられなくなり。とりあえず、高速道路の方に向かって、とぼとぼ歩き始めました。そして、ガソリンスタンドを見かけて、県外ナンバーには声をかけて、ことごとく敗れましたね。

hitchhike
16:10、東名高速道路の入り口。とうとう歩いて辿り着いてしまいました。もはや、引き返せることはできるけど、引き返したくないところ。思いっきり、笑顔で、思いっきり、「静岡方面」を振りかざし、これがなんと。

ものの10分で止まってくれたんです。この時は、まさか自分のためにわざわざ止まってくれたことがまだ信じられずにいたことを覚えています。トラックの運転手さんが止めてくれて、車内ではとても書けないような下ネタトークを披露してくれました。

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19:30、日本平SA。下ネタトークを披露してくれたお兄さんとはここでお別れ。また新しいヒッチハイクを乗せてくれる人を探さなきゃいけません、パーキングエリアでは一人一人に声をかけていきました。ここで見つからなければ、パーキングエリアに宿泊しなければならないわけなので、けっこう背に腹を変えて、声をかけまくりました。

とはいえ、なかなか乗せてもらうことなんかできません。「静岡まで・・・」「ごめん、浜松なんですよ。」、「ヒッチハイクは乗せちゃダメなんだ。」。さんざん、やってそれでも、やらなきゃいけませんでした。ちょうど落ち込んでたところを声かけてもらいました。「ヒッチハイクしてるの?」

hitchhike
20:15、自宅着。結局、優しいというよりはノリの良い夫婦に乗せてもらい、なんと自宅の真ん前までヒッチハイクに成功。こうして、5時間ほどのヒッチハイク生活が終わりました。あの時は、学生だったのですが、学生生活中には絶対会わないだろうなって人たちと会うことができたんですよね。

誰かに手をあげて、送ってもらう人生もありなんですよね。あれから、そんな人生ばっかり送ってるなーなんて思いながらも。決して、してもらったことは忘れずに、ヒッチハイクを続けていくつもりですよ。

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