シェアリングエコノミーの考え方、「共有経済」は新しいことなのでしょうか?それとも、昔から考えられてきたことなのでしょうか?SNSが広まりつつある中で、大切だとなってきている考え方のひとつにコミュニティがあります。これは、物理的な場を必ずしも持っていないような場合であっても、それぞれが共通意識を持つことによって、情報交換や経済を成立させるような意味合いで使われています。
ところで、コミューンという言葉が一昔前、といっても、すでに50年ほど前のことですが。1960年代のアメリカで生まれ、よく使われていたのです。それが「ヒッピーコミューン」。
今回は、時折、噂をよく聞くヒッピーのこと。そして、彼らがある意味でのシェアリングエコノミーを成り立たせていたヒッピーコミューン。このあたりのことについて、調べていきたいと思います。
ヒッピーって、いったい誰なのでしょうか?
(出典): playbuzz
お風呂に1週間以上入らなくて、汚くて、裸足でうろうろしている。それから、ドラッグをやって、平和を愛する、できれば近寄りがたい人たち。そんなイメージを抱いている人もいるかもしれませんが、あながち間違っていないようにも思います。
ヒッピー(Hippie)は、伝統・制度などの既成の価値観に縛られた人間生活を否定することを信条とし、また、文明以前の自然で野生生活への回帰を提唱する人々の総称。
1960年代後半に、おもにアメリカ(発祥地はサンフランシスコのヘイト・アシュベリー地区との説がある。ロス郊外のローレル・キャニオン(英語版)とする説もある)の若者の間で生まれたムーブメントで、のちに世界中に広まった。彼らの多くは、自然と愛と平和とセックスと自由を愛していると主張した。
(出典): ヒッピー – Wikipedia
ヒッピーはだいぶ、数が減ってしまったものの。まだ、世界に現存していることも事実です。私が一時的に過ごしていたカリフォルニア州サンフランシスコは、そのメッカの一つでもあったので、有名な「ヘイトアシュベリー」にいけば、いつでも彼らと出会うことができていました。
アメリカにあるヒッピーコミューンを紹介していきましょう
アメリカには本当に僅かではありますが、未だ現存しているヒッピーコミューンがなくはありません。映画「イントゥ・ザ・ワイルド」なんかでも見ることができますが、「無政府」なのに成立している不思議なところです。
カリフォルニア州スラブシティ
スラブシティは、ロスアンゼルからやや東に向かった砂漠地帯にあります。ここは、アメリカで現存するもっとも有名なヒッピーコミューンとなります。どこには、法律は存在しませんが、自発的なコミュ二ティ秩序に基づいて、共同生活がなされています。アート作品などは、とっても綺麗なものです。
オレゴン州ユージーン
オレゴン州はヒッピーたちのメッカ。あのスティーブジョブズが、わざわざこのオレゴンまで大学を選んだことでも有名ですね。そのカルチャーは未だ根付いていて、ユージーンは特に街全体がヒッピーに対して親切であるみたいです。自由に、平和を願って生きているのを見ていると、呑気になれるものです。
コロラド州ドロップシティ
コロラド州はアメリカの中西部に位置しており、デンバー近辺はビートニク(アメリカ60年代文学で、ジャックケルアックがヒッピーたちのバイブルを著しました。)の作家たちがウロウロしていたことでも有名です。ドロップシティは、1965年にアートと住まいの実験的な意味合いで始まったものです。未だに訪れている人はいるみたいです。
ネバタ州ブラックロックシティ
(出典): Businee Insider
ここは、8月の最終月曜日から9月の第一月曜日までに限定ですが。この期間は「バーニングマン」と呼ばれる何でもありのイベントが開催されます。砂漠に覆われた荒野に、1週間だけ人工的な街ができます。そこでは、アートや自給自足がすべてがアナログに行われるのです。Googleの画像検索結果をみても、一度は行ってみたい光景ですね。
え!国内にも実は見つけたヒッピーコミューン
日本にもヒッピーコミューンは現存しているという衝撃的な事実が発覚しました。といっても、アメリカのように生き残っているよりは、ちょっとしたエコタウンみたいな感じにはなっていますが。。
熊本県サイハテ村
三角の山にある衣食住+文化循環型のエコビレッジ。ルールも、リーダーもいないこの街で、やりたいことを思いっきりすることができます。いきなり、くる人でも受け入れられるどころか、主体的に取り組んでいくことができる場所です。
ヒッピーコミューンたちの共同生活は、無政府でも秩序を担保する。信頼で成立しているところです。これはお互いが依存し合わなければ、生活ができないんですね。現代社会では、どんなものでも代わりがきいてしまう世の中になってしまっています。
ヒッピーたちから学ぶべきところは、まさに共同生活をするためにお互いの信頼インフラを確固たるものとするということですね。